21世紀は感染症との戦いになるそうです。しかしなぜ今さら?
その原因として指摘されているのが気候変動、そして薬剤耐性菌です。ここでは後者にスポットを当てて深掘りします。
目次
薬剤耐性菌とは何か?
Doc. RNDr. Josef Reischig, CSc. / CC BY-SA
薬剤耐性菌は、その名の通り、薬剤に対して耐性のある菌。言い換えれば薬剤に勝ってしまう細菌のこと。そして、ここでいう薬剤とは抗生物質のことです。
菌類・細菌類をやっつける薬、抗生物質
抗生物質とは、1940年代に登場したペニシリン(青カビから誕生した) を代表とする薬剤で、カビをはじめとする微生物(菌類や細菌類)の代謝物に由来します。菌類、細菌類が他のライバルを制圧するために放出(=代謝)する物質を人工的に取り出して量産し、薬剤として活用しているわけです。(例:青カビが出す代謝物によって肺炎球菌など他の微生物が制圧される)
抗生物質の登場により、人類は何万年にも及ぶ感染症との戦いに遂に打ち勝ったというのが20世紀の輝かしい成果です。
が、実際には勝っていなかった..。という現実はあまり知られておらず、近年になってその状況がますます悪化してきているというのが実態です。
抗生物質から生き残った株、薬剤耐性菌
抗生物質を使用すると、例えば破傷風や肺炎球菌などの感染症の原因となる細菌は一掃されるわけですが、ごくまれに、たまたま耐性があって抗生物質の制圧から生き残る株(細菌の個体)がいたりします。生き残ったその株にとって、周りはライバルの死滅したフロンティア。
細菌は10分〜20分で倍増していくので、2,4,8,16,32,64..。(例えば大腸菌であれば、1個の株が6時間で262,144個にまで増えます)
つまり、たった1つの薬剤耐性菌が、数時間で大軍団に膨れ上がるわけです。患者さん目線だと、症状再発。当然これらには抗生物質が効きにくいので、ドクターはさらに多くの抗生物質を使って制圧しなければなりません。
それで制圧し切れれば良いのですが、ここでも1株くらい生き残るタフな株があると、そいつがそのポテンシャルのまま数時間で大軍団に…といった流れです。
農薬から生き残った雑草が増殖し、農薬の効きにくい雑草が増え、さらに農薬を増やすといった悪循環と構造は同じです。
薬剤耐性菌と抗生物質汚染
ペニシリン の薬剤耐性菌は、たったの数年で登場した
抗生物質の登場以降、患者の回復ぶりがあまりに奇跡的なので濫用が進み、例えばペニシリン などは登場から10年もたたないうちに薬剤耐性菌が出現しています。
もう50年以上前に研究者たちはその危うさに気づき、新たな抗生物質の開発や改良を続けてきました。が、開発をしてもすぐに薬剤耐性菌が生まれるという構図は変わらず、いたちごっこが続いています。
そして近年、もはや新しい抗生物質は登場せず(新薬は既存の改良版のみ)、薬剤耐性菌の勢力が人類の英知を上回る兆しが見え始めています。なかでも憂慮すべきが抗生物質汚染です。
新型コロナ以上の地雷源? 抗生物質汚染
従来、薬剤耐性菌は医療現場(抗生物質の治療現場)で登場してきました。ドクターの目の届く範囲で戦いが繰り広げられていたという点で、言わばアンダーコントロールに近い状況にあったとも言えます。
これに対し、在野の自然界で勝手に生まれ、自由に振る舞い始めている薬剤耐性菌が増えているのが近年の実情であり、その背景にあるのが抗生物質汚染です。
抗生物質汚染について
抗生物質汚染というのは、抗生物質が人間界から自然界に流れ出て環境に影響を与えてしまう事を指します。例えば土中に滲み出せば健全な土中細菌類の相に影響をあたえ、それは周辺の微生物や昆虫、植物にも影響するでしょう。
河川であれば、やはり既存の細菌類への影響は避けられず、しかも広範に広がってしまいます。
英ヨーク大学の研究者らが、フィンランドで開催された環境毒性学化学会欧州支部の学会で2019年5月27日に発表した最新の研究によると、テムズ川からメコン川、チグリス川など、世界中の91河川を調査したところ、3分の2近くで抗生物質が検出された。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO46003500S9A610C1000000/
自然界に抗生物質が流出する事で、生態系への影響も懸念されるところではありますが、最も深刻なのは我々の知らないところで薬剤耐性菌がどんどん生まれてしまう可能性があることです。そしてこの懸念はすでに現実となり始めています。
2016年の報告によれば、薬剤耐性菌に感染して命を落とす人は、全世界で毎年約70万人に上るという。よく使われる抗生物質への耐性菌が増えれば、この数字が跳ね上がるのではないかと専門家らは危惧する。英国政府の委託を受けた2014年の研究では、薬剤耐性菌による感染症が2050年までに世界の死因のトップに躍り出る可能性があると警告した。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO46003500S9A610C1000000/
抗生物質はなぜ流出するのか
医療現場からの流出
抗生物質汚染の原因としてよく指摘されているのが、抗生物質の濫用です。風邪をひいたら「よく分からないけれど、とりあえず抗生物質」という安易な処方が世界的に行われており、これが薬剤耐性菌の母体となっているとされています。
しかし話はそこで終わらず、処方された人が排泄する糞尿にも抗生物質が残留し、そのまま排水されていきます。抗生物質や細菌類は下水処理場での完全除去はできていないらしく、人間の濫用がそのまま生態系に直結してしまう実態があります。
古い論文なので恐縮ですが、環境工学研究論文集より参考として一部抜粋して引用します。
ろ過された流入水と二次排水のサンプルでは、LVFX(レボフロキサシン)、CAM(クラリスロマイシン)、AZM(アジスロマイシン)の平均濃度はそれぞれ552、301ng / L、647、359ng / L、260、138ng / Lでした。下水処理場でのLVFX、CAM、AZMの除去効率は、それぞれ46%、45%、47%でした。
環境工学研究論文集より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/proes1992/42/0/42_0_357/_article/-char/ja/
レボフロキサシン、クラリスロマイシン、アジスロマイシンというのはそれぞれ抗生物質の名前です。副鼻腔炎や尿路感染症、咽頭炎や肺炎といったよく聞く症状で処方されています。それらが排水された場合、下水処理場では半分程度しか濾過されず、残りは河川や海洋に放出されているということを意味します。
小魚を食べる食物連鎖の上位に位置する大型魚の研究によって、研究者は大洋の抗生物質汚染を評価できる。近年の研究で採取された6ヵ所、8種類の魚すべてで抗生物質が検出された。
マーティン・J・ブレイザー著 「失われていく、我々のうちなる細菌」P257 / 大元の出典は Journal of Zoo and Wildfile Medicine 41 「Evidence of antibiotic resistance in free-swimming top-lebel marine predatory fishes」
これらの背景として、本当に必要でない場合でも「とりあえず抗生物質..」という事で大量に使用され、大量に自然界に流れ出しているという実態があると指摘されています。
畜産現場からの流出
抗生物質の流出は、むしろ畜産業界からの方が深刻なようです。アメリカで使用されている抗生物質の7〜8割は畜産業界で使用されているとの指摘もあるように、牛肉・豚肉・鶏肉の生産過程で大量の抗生物質投与が行われています。
それは不健康な環境に大量の家畜を詰め込む事で起こるであろう感染症を、力技でねじ伏せるための薬剤投与はもちろん、人工飼料に抗生物質を少量混ぜる事で成長促進剤として使用することも日常的に行われています。これは日本国内でも同様です。
現在アメリカで販売されている抗生物質の70から80%がウシ、ニワトリ、七面鳥、ブタ、ヒツジ、カモ、ヤギといった何億頭もの家畜に使用されている。2011年、畜産農家は3000万ポンド近くの抗生物質を購入したが、これは史上最高である。ただし、正確な数字は厳しい企業秘密のため分からない。農業産業界も製薬業界も、このような慣行に関して、高い防御意識を持つ。
マーティン・J・ブレイザー著 「失われていく、我々のうちなる細菌」P91
畜産現場から排出される家畜の糞便は、下水処理場ではなく生態系にそのまま流れ出し、また場合によっては肥料として活用され、場合によってはお肉に残留して人やペットの口に入ります。
自然界に流出した抗生物質は土中/水中微生物をはじめとする生態系に影響を与えると上述しましたが、私たちのお腹の中にも生態系が存在します。マイクロバイオーム(腸内フローラ)です。
残留抗生物質を含む食肉の摂取がはたしてどのような影響を与えるのかはまだ研究が進んでいません。ただ、そういう実情があるということを知っておく事は、日々の選択の意思決定のためにも決して無駄ではないと思います
新型コロナではない、既存感染症の逆襲
過去の病気とされてきた結核が、21世紀になって再流行しているのを聞いた事がある人も多いかと思います。これなどはまさしく薬剤耐性菌の好例であり、その制圧は今後ますます難しくなっていく事が懸念されます。
薬剤耐性菌が増えるということは、抗生物質の誕生する前の時代に戻る、言い換えれば1940年以前の世界に戻るのだとも評せます。子供が普通に死んでいく世界。6,7人産んで、やっと2,3人生き残る世界。
それは残酷だけれども自然界においては当たり前の形だと言えるかもしれません。その観点で見ると、過去に制圧してきた多くの感染症による逆襲、いや自然界そのものによる逆襲をくらっているのが21世紀だと言えそうです。
まずは現在の不自然な畜産(とそれに依存した食生活)を見直し、自然界に寄り添うことでしか解決の糸口は見つからないように思います。
株式会社Forema(フォレマ) 代表。生態系保全活動の傍ら、自社ラボで犬と猫の腸内細菌/口腔細菌の解析を中心に、自然環境中の微生物叢解析なども含め広く研究を行なっています。土壌細菌育成の一環として有機栽培にも尽力。基本理念は自然崇拝。お肉は週2回くらいまで。