このところ被害が拡大し続ける鹿害(ろくがい)。これは農作物被害だけでなく、山林の荒廃も含まれます。 そしてこの被害、実は日本だけの話ではないようです。
(この記事は2010年の秋に別メディア用に執筆したものをForema用に書き改め加筆したものです)
※冒頭の画像
By Mav – CC 表示-継承 3.0, Link
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1930647
オオカミの絶滅と鹿の増殖
北米では1930年代、日本と同様にオオカミが姿を消しました。以後数十年で、大型の鹿、エルク(別名ワピチ=アメリカアカシカ)が大繁殖。彼らはポプラなどの若芽を食べまくり、結果としてポプラの数が減少ました。
山がちな日本に対し、平野に広大な森林が広がる北米大陸では、日本のように土砂崩れに悩まされる事はあまりないようです。が、一方で生態系にかなり影響が出たとのこと。具体的な内容は後述するとして、この事態を深刻に受け止めた行政は95年の1月にカナダから8頭のハイイロオオカミ(=タイリクオオカミ)を空輸。イエローストーン国立公園に放しました。
By Daniel Mayer – CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2866608
イエローストーン国立公園は世界で最初の国立公園。巨大な間欠泉と雄大な自然で有名
オオカミの放獣と生態系の復活
オオカミが放されたとき、周りはエルクの楽園でした。すなわち見渡せば餌だらけという話。彼ら(オオカミ)は順調に生息範囲を広げ、2008年末の時点で1600頭以上にまで増えたそうです。それで、どうなったか??
概ね関係者の予測どおり、生態系が激変。正確に言えば生態系が以前の形に復元されました。
By Peupleloup – , FAL, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2457829
ポプラが復帰
まず、オオカミの登場によってエルクの活動と個体数が抑制されました。これは捕食はもちろんですが、オオカミが見回るエリアや逃げ場がない地形からエルクが撤退し、また捕食されるストレスが繁殖活動に影響を与えたのだそうです。するとエルクに駆逐されていたポプラが復帰。元々強い木なので一気に勢力を回復。早いものでは数年で4メートル前後に成長し、水辺に適度な木陰が形成されました。
水辺が繁ってくると川辺の土壌や水の流れが安定します。木陰は隠れ家になるとともに木から落ちる虫は餌になるので魚たちが集まってきました。するとそれを狙う鳥たちがすぐに繁みに戻ってきたといいます。
By , CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=130735
ビーバーが戻ってくる
さらに、オオカミにとって変わっていたコヨーテがオオカミに駆逐され、コヨーテ(※)の餌となっていた小型哺乳類(ネズミやジリスなど)が復活。するとこれらを捕食するキツネやアナグマ、猛禽類の立場が向上します。
※コヨーテがオオカミの代わりに頂点捕食者の座に君臨していたが、エルクは大きすぎてコヨーテの捕食対象にはならなかった
しばらくすると、川辺が豊かになった事でビーバーの個体数が大幅に増加。ビーバー はポプラやヤナギの皮や葉を餌にするためです。ビーバーがダムを作る事によって流れが適度に遮られ、従来の魚類や両生類にとって好ましい環境が整ったとされます。
By Bridesmill from en.wikipedia.org, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1144117
オオカミは獲物の死骸を埋めないので、その他の肉食動物(一時的に王者に君臨していたコヨーテも含む)が残骸のおこぼれにあずかれるようになりました。また大型鹿のエルクが減った一方で、中型の草食動物であるプロングホーンが増加。これはプロングホーンの子供を狙うコヨーテ減少の影響と考えられるそうです。(※プロングホーン:一見シカっぽいが、プロングホーン科という独自の種)
つまり、北米における鹿害とは、これら全ての生態系を『ぶち壊したこと』だったと言えます。
By www.naturespicsonline.com – http://www.naturespicsonline.com/, Copyrighted free use, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=996377
余談ながら、プロングホーンは時速100km近くで疾走し、しかも長距離を高速で走り続けられるという優れた特性があります。これはコヨーテやオオカミ相手にしてはオーバースペックで、1万5千年くらい前まで北米に生存していたチーターとの生存競争の過程で得られた技能だろうと推測されています。
日本でのオオカミ再導入論は?
一方で日本。こちらでは農作物被害ばかりにスポットが当てられていますが、北米同様の生態系ダメージはもはや隠しようがありません。森林が枯れたという目に見える被害はわかりやすいですが、イエローストーンの例を見れば、例えば鳥が減った、川魚が減った、実は両生類が減っていた、という一見目立たない事案にも鹿が間接的に影響している可能性は否定できません。
国内では一般社団法人の日本オオカミ協会がオオカミ再導入に意欲的で、科学的な根拠で再導入の意義を説いています。これに対しては異論も多いですが「危ないからだめ。責任は取れるのか」といった愚論が多いのは、安全神話に浸りきった日本ならではの事情と言えそうです。
関連書籍
尚、イエローストーンのオオカミ再導入の件についてはナショナルジオグラフィック誌、2010/3月号に詳しく紹介されています。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1003/feature02/
また、2016年5月号にも続編があります。こちらはオオカミというより、イエローストーン全体の事。特にハイイログマの個体数が回復した事による人身事故の件に触れられています。
こちらについてはWebページもあります。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/magazine/16/041900009/041900002/
そしてこのジャンルの名著「捕食者なき世界」でもイエローストーンの事例についてさらに詳しく触れられています。この本に関してはイエローストーンのみならず、生態系における捕食者の重要性、頂点捕食者不在の状況がいかに危険であるかがさまざまな実例から列記されています。
その他、オオカミに関連する書籍は下記の記事でより詳しく紹介しています。
株式会社Forema(フォレマ) 代表。生態系保全活動の傍ら、自社ラボで犬と猫の腸内細菌/口腔細菌の解析を中心に、自然環境中の微生物叢解析なども含め広く研究を行なっています。土壌細菌育成の一環として有機栽培にも尽力。基本理念は自然崇拝。お肉は週2回くらいまで。