熱心な愛犬家や、犬の健康に感度の高い層を中心に、「生食」や「手作り食」という価値観が広がっています。
同時に、獣医さんや専門家を中心に「生食」や「手作り食」に対して警鐘を鳴らす見解もしばしば目にします。
果たして真相はいかに?? 全体像をやんわり俯瞰しながら本質について語ります。
目次
なぜ手作り食、生食が導入されるのか?? その背景
推進派の背景
手作り食派
犬の手作り食をしている人たちの声を聞いていくと、愛犬の健康を追求していった結果、手作り食にたどり着いたという人が大半です。過去に病を経験して食事療法に着手した人もいれば、大病で死別した方もあり、なんらかの原体験を抱えている人が多い印象です。
根底に既存のペットフードに対しての疑問、不信があることが大半で、ならば自分で勉強して少しでも良いものを食べさせてあげたい、そんな想いから手作り食にチャレンジしています。SNSで情報が集めやすくなった時代背景もありそうですね。
生食派
手作り食の延長線上というか、より先端的な方法として生食を導入している方が多い印象です。犬は狼の末裔なので、より自然に近い洗濯をした結果、生食という方法にたどり着いている方が多いように思います。
生食のルーツを追っていくと、熱心なブリーダーや「欧米での価値観」にたどり着くのですが、事実生食を導入されている方は、大型犬や、猟犬の色が濃い犬種の方が多いです。
犬をコンパニオン(子供や伴侶)と見るか、パートナー(盟友、同胞)と捉えるかの日欧のペット事情の違いと言えるかもしれません。
反対派の背景
手作り食反対派
手作り食に反対する人たちは、決して手作りを否定しているのではなく、手作り食は栄養バランスを維持するのが難しく、健康維持に影響をきたす恐れがあるという観点で懸念を示しているようです。
まっとうな正論なので、今後手作り食という方法の知識が蓄積/共有されていくことで解決されていくのかもしれません。懸念に対して対案が示せるとさらに良いのですが。
「手作り食はお勧めできません。総合栄養食を」と、ロイヤルカナンを提案される。
「いや、ロイヤルカナンに限界を感じたから手作り食にしたんです」
みたいな、分かり合うのが難しいすれ違いが起きているとも言えそうです。
生食反対派
以前、とある大学の獣医学部の教授たちから伺ったのですが、獣医学会は生食は反対という立場なのだそうです。やはり病原菌によるリスクを懸念してのことでした。
ここで重要なのは、犬が平気であったとしても、愛犬経由で人間に感染するリスクが払拭できない点。よって先生たちは反対の立場なのですが、私が話したことがある人たちの中では、そもそもの生食のメリットに言及する先生は皆無でした。
「病が発生した後」の段階から対処に関わる立場としては、リスクを許容することは難しいのかもしれません。実際問題として、猪の場合はオーエスキー病のウイルス保有の可能性がゼロではないため、Forema としても加熱を推奨しています。
生食についてもう少し深掘りします。
犬はオオカミの末裔だから生食が当然?
犬はオオカミか? もう違うのか?
生食を導入している人たちの価値観として、犬はオオカミの末裔なので生食が最も自然という考えがあります。そして事実、生食に切り替えて見違えるように毛並みや体調が良くなったという声は世に溢れています。これは一つの成功事例として、否定すべきではないでしょう。
では、犬は本当に今でもオオカミなのでしょうか?
イヌとオオカミは、分類としては同じ
イエイヌとオオカミは亜種の間柄で、分類としては同じ種(しゅ)に属します。亜種というのは、同じ種類の中の、地域ごとのちょっとした違いでさらに分類しているサブカテゴリーのようなもの。
ニホンジカという種の中に、ホンシュウジカ、キュウシュウジカ、エゾシカという亜種がいるのがわかりやすい例かもしれません。
イエイヌとオオカミは、近年になるまでDNAの違いが解析できないほど存在が近く、分類学が示す通り「ほぼ同じ」と見て間違いありません。
ただし現実問題としては決して同じではない
グレートピレニーズとティーカッププードルが同じ種だとは誰もが信じがたいでしょう。この差は、せいぜい過去200年〜くらいの間に急速に進んだ品種改良の結果によるもので、特定の特製をかけあわせ続けた結果、(分類学的に同じものであったとしても)実質は別の特性の生き物が誕生したと考えて間違い無いように思います。
にもかかわらず、ひとつの「イヌ」として総括しようとするところに、生食の「賛成派」「反対派」の登場と軋轢の原因があるのではないでしょうか?
「イヌはオオカミではない」論者に少し反論
イヌはオオカミではない、と断言している獣医師や専門家も多いです。「1万年も人といるのだから別の生き物」「人間も太古の食生活に戻りますか? 平均寿命20数年に戻りますか? 」そんな意見も見たことがあります。
イヌはオオカミとは違う生態、違う食性なのは間違いありません。一方、口腔の構造は依然として咀嚼に適しておらず、丸呑みを前提にしています。
人間は火を使うことで食べるものの範囲を広げましたが、加熱したお肉は生肉にくらべ消化器官の負担がふえるため、代わりに咀嚼を増やすことで消化器官器の負担を減らしています。口腔が負担を肩代わりしているのです。(この進化に数10万年以上)
また、太古(※ここでは農耕の始まる前夜の1万年前あたりを想定)の食事は、健康面においてはむしろ優れていることが近年の研究で解明されています。最後の狩猟採取民族ともされるアマゾンのヤノマミ属のマイクロバイオームを研究したグループがいるのですが、ヤノマミ族の腸内細菌の相は長寿において理想的なものなのだそうです。
アフリカで狩猟採取に近い生活をしている別の民族も、食べているものが違うにもかかわらず、やはりヤノマミ族と同じような相の腸内細菌を示しているそうです。(逆に欧米人とはほとんど共通項がなかったのだとか..)
太古の人類が平均的に20代で死んでいったのは、食生活がまずかったのではなく、食糧の安定供給や住居/衣類の確保、怪我や疫病への対処方法の問題であり、太古の食事が問題だったと考えるのは現代人の奢りでしょう。(狩猟採取民族の死因は他部族との紛争による傷病が大半)
生食は人間でも1〜2週ほどで慣れてくるらしい
日本屈指の探検家である故.上村直己さんが北極探検をした際、数ヶ月エスキモーと一緒に過ごしたことがあるそうです。エスキモーは決してお肉を焼かず、基本的には生食で、ときどき塩水でボイルなのだと。最初に鯨の生肉を提供されたときは飲み込んだ瞬間に全てを吐き出しそうになったと語っています。
が、数日も一緒に過ごしていると体が慣れてきて、むしろ生肉がやめられなくなったそうです。「酵素が作られてきたのだろう」とのことでした。
酵素という表現が妥当かは分かりませんが、これは体が耐性をつけ、さらにはマイクロバイオーム(腸内細菌)の組成に変化があり、生肉の消化に適した体になったということでしょう。(マイクロバイオームの組成は数日、早ければ数時間で変化する)
夏に新鮮な魚や野菜を食べていた人たちが、雪に閉ざされた厳冬期に漬物や干物だけでも生きていけるのは、夏と冬で腸内細菌の組成が変化し、それに適した消化構造にアレンジされているから。
九州の人は鳥刺しを平気で食べますが、本州の人が同じことをやるとかなりの確率でお腹を壊します。それでもしばらくすると慣れてきて、「旨い美味い」と酒量も増えてくるのも同様。
この”振れ幅”こそが「生物の適応力」であり、生き物が持つたくましさだと考えます。
オオカミも、山間部と沿岸部では食生活が大きく異なります。同じ種でも振れ幅が大きい。この振れ幅を否定し、多くの犬種を「イヌ」としてまとめて捉えるところに無理があるのでしょう。
生食はイデオロギー論争か? その本質とは
生食に話を戻します。
生食問題は、なぜかイデオロギー論争のように白熱化しやすい側面があります。一歩引いて眺めていると、これも数多犬種を「イヌ」としてひとまとめにすることろに問題の本質があるように思えます。
小型犬を子供のように愛している都市部のシニア女性と、地方の郊外で大型犬と一緒に駆け回っている比較的若い男性。この時点で共通事項はほぼありません。
その前提を無視して「食」について語ると、ともに愛が深い分、紛争に発展しやすいのかもしれません。
が、さらに追求していくと、行きすぎた品種改良と生体販売こそが問題の本質だという事に気づき始めます。
スタンダードプードルとティーカッププードル
生で見るスタンダードプードルの迫力と存在感は大したものですね。そこから派生したトイプードルは同じルーツとは思えないほど。トイプードルからさらにダウンサイジングしたティーカッププードルまでいくと、品種改良が加速しすぎな感も否めません。
背景には生態販売による利益追求と、「売ることがゴール」という供給側の価値観があるのは間違い無いでしょう。
品種改良は、その字があらわすように本来は良いように改めていくもの。が、ペットの品種改良は、生存に不利な用件を掛け合わせていくものも少なくはなく、結果として人間の圧倒的な庇護無くしては生存できない犬種は多いです。その意味では、(一部の)イヌはオオカミでは無い、と断言していいでしょう。
体型的に不利、だけならまだいいのですが、遺伝的に疾患が出やすい、さらにいうと「疾患は回避できない」とか「まともな食生活は送れない」みたいなリスクも少なくないのだと「推測」しています。
食材の提供を行っている中で、何をあげても、どうやっても食べない、と困っている飼い主さんにしばしば会います。食べムラがひどく、何をあげても興味を示さず、すぐ飽きてもう食べられるものがないのだと。狭い品種に集中している印象があります。
生きることは食べること。
食に全く興味を示さなくなるというのは、結果的に生きることを拒否しているように感じ、とても悲しくなります。
かつての医療は、「食べられなくなった時点が寿命」という判断だったそうです。食べるのをやめ、飲めなくなり、最後は眠るように、枯れるように命を引き取っていくのだと。戦前の、わずか80年くらい前までの価値観です。
その観点であれば、もう何も食べないというのは、まだ若い犬であっても寿命が近いのかもしれません。
婉曲的な表現になりますが、これが生体販売の実態だと言えます。
株式会社Forema(フォレマ) 代表。生態系保全活動の傍ら、自社ラボで犬と猫の腸内細菌/口腔細菌の解析を中心に、自然環境中の微生物叢解析なども含め広く研究を行なっています。土壌細菌育成の一環として有機栽培にも尽力。基本理念は自然崇拝。お肉は週2回くらいまで。