日本では90年代半ばから獣害が目立ち始め、今では人の手に負えないほど鹿・猪の個体数が増加。国を挙げて解決すべき課題となっています。鹿・猪が激増した原因としてニホンオオカミの絶滅が指摘されており、私も頂点捕食者不在の現状に強い危機感を持っています。
一方で、ニホンオオカミが絶滅してから鹿・猪が急増した現代までの時差は100年近く。オオカミと獣害は無関係との声も少なくありません。この点については、色々な意見や事柄を踏まえながらまとめてみたいと思います。
目次
オオカミ不在と獣害は無関係という説
ニホンオオカミ絶滅と鹿・猪の増加は無関係だと主張する人は少なからずいます。その理由の一つとして、ニホンオオカミが絶滅したとされる時期(※)と、獣害が激増した近年までの間に大きな時差があるから。(※最後に捕獲された個体は1905年)
それどころか、ニホンオオカミが絶滅して以降も数十年、鹿の個体数は少ないままで、むしろ長らく保護されていた歴史があります。
アメリカのイエローストーン国立公園の事例では、最後の狼が撃ち殺されたその頃から周辺の川沿いのポプラが影響を受け始めました。その時点で鹿よりも背が高かったポプラのみが生き残り、それ以降の世代は片っ端から鹿の餌食となりました。(鹿が捕食圧から解放された)
90年代にアラスカからイエローストーンにオオカミが再輸入されて以後は、即座に鹿の行動パターンが抑制され、すぐに生態系が回復に向かいました。オオカミがいる、いないの影響が即効性を持って表面化した分かりやすい事例です。(※関連記事:オオカミ復活の事例 イエローストーン)
https://blog.fore-ma.com/?p=13
にもかかわらず、国内ではニホンオオカミが絶滅して以後も100年近く、現在のような鹿害は表面化していませんでした。よってこのタイムラグが、ニホンオオカミの絶滅と現代の獣害は無関係とする論の一つの根拠となっています。
なぜ獣害が増えなかったのか?
しかしながら、アメリカおよび諸外国で関連性のあったオオカミと生態系の関係が、日本でだけ例外という事があるのでしょうか? ニホンオオカミ絶滅後に鹿や猪(による害)が増えなかったのは何か理由があるのではないでしょうか?
20世紀全般を通して獣害が今ほど激増していなかった理由として、考えられるものをいくつか記載します。
昔はハンターがたくさんいた
かつて日本には猟師さんがたくさんおり、ニホンオオカミに変わって捕食者の役割を果たしていた、というのが比較的有力な説です。この説は同時にオオカミ再導入不要論のよりどころにもなっている側面があり、このまま人間が狩り続ければ害獣は抑えられるという考えを補強しています。
鹿はハーレムを形成するので個体数を抑制するにはメスを積極的に捕獲する必要があります。現在でも私の知る猟師さんの多くはメスの方が柔らかくて美味い!と断言していますし、もともと全国的に雌鹿を捕食する食文化があったのであれば、熟練の猟師さんらが20世紀全体を通じて個体数抑制に一定の影響を与えていた可能性は大いにあります。
が、昔の人たちに話を聞くと、大抵はツノの立派な年老いた雄鹿ばかり狙う事が多く(だから昔の鹿は硬くて不味い)、その場合は個体抑制の効率は高くなかったとも言えます。
また、海外の専門家(Steve Braun:スティーブ・ブラウン氏)は、狼の捕食と人間のハンティングは根本的に異なると指摘しています。人間は同じ季節に同じ場所でしか狩猟しないから。それはオオカミの捕食とは根本的に異なるのだと。
今となっては昭和期の狩猟捕獲数と推定個体数を正確に検証する方法は見当たりません。猟師さんによる駆除圧の影響は当然あったと考えるのが自然だと思います。が、それが鹿や猪の増加を抑制するほどのものだったのかどうかは定かではありません。少なくとも頂点捕食者不要論の根拠とするのは傲慢だと個人的には考えています。
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それ以前に激減しすぎていた
ニホンオオカミ不在でも獣害が増えなかった理由として、鹿・猪自体も個体数が大きく減っていたという可能性もあります。ニホンオオカミが絶滅したのは江戸期から続く伝染病および駆除政策、山林開発が下地ですが、明治期に入って軍用の村田銃が民間に払い下げられた事も大きかったと考えられます(猟師さんが高性能の銃を使い始めた)。
ただしこれはニホンオオカミだけでなく、他の大型野生動物全般に対しても比較的共通する圧力にも思えます。エゾジカにおいては北海道開拓の貴重な食料源および輸出源として大いに活用(=狩猟)され、結果として個体数が減少。そこに豪雪が重なった事で絶滅が危惧されはじめ、20世紀初頭に禁猟となりました。この禁猟期間の間にエゾシカを食べるという食文化が廃れてしまい、今に至っています。
エゾシカは年間繁殖率が120%なので本来は4年で倍になる計算ですが、個体数が減りすぎるとこの健全なペースを取り戻すまでに相当な時間がかかる(※)のだと思われ、結果としてニホンオオカミ絶滅と個体数激増との間にタイムラグがあったとも考えられます。(※現代の絶滅危惧種保護が好例)
エゾジカのみならず、本州においても山林開発と村田銃という背景は共通なので、同じような理由で鹿や猪の増加が抑制されていた可能性は大いにあります。(とは言え、多くは農民たちの罠による捕獲だったそうです:駆除の報償金目当て)
また、山林ではないのですがニホンアシカなどは明治期以降に猟銃によって凄まじい勢いで狩られ、そのまま個体数回復が叶わず絶滅に至っています。
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となると、やはり人間が個体数を抑制できる=頂点捕食者不要 という論に行ってしまいがちなのですが、これは人間が個体数調整に貢献していたというより、自然界全体を瀕死の状態に追い詰めていた愚策(=欧米模倣期の過ち)の典型にすぎません。
自然界のアヤという考え
自然界は複雑です。イエローストーンやその他アメリカの事例のように影響がすぐに出る場合もあれば、一定期間変化が出ない可能性もあります。温暖化が明らかに進みながらも、例外的な年がしばしばあるように。
昔は今よりも雪が多く、越冬の難しさが個体増加の抑制につながっていたという点もありますし、スパコンでしか証明できないような複雑な事象が横たわっているのは間違いないように思います。とはいえ、アヤを理由にしすぎると議論の縮小と言論の封殺に至ってしまうので使いすぎは禁物です。
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昔は人が山に入っていたから
これもよく指摘されるもので、個体繁殖への抑制にはなりませんが、人が山に入る事で野生動物との緩衝地帯(=いわゆる里山)が形成されます。結果として住み分けによる紛争抑止につながるため、実際の個体数云々は置いておいて、農作物被害を回避できていた時期だと言えます。せいぜい70年代くらいまででしょうか。
この時期の推定個体数が公式には存在していない(or あっても信ぴょう性に欠ける)ので、個体数が増えていても減っていても分からない期間だと言えます。ただし農作物被害はある程度防げていたパックス昭和。
昔は野犬が多かった
今回いちばん書きたかったのがこれ。知人の狩猟関係者が力説していました。
近年は野犬がいなくなったから野生動物が我が物顔で人里を闊歩している。野犬の他にも犬の放し飼いが無くなった事が大きい! のだと。
この狩猟関係者のところでは猟犬を使った犬追い猟を行なっており、犬がいかに狩猟に優れた肉食動物であるかを熟知しています。そして野から犬がいなくなった事が野生動物の勢力拡大の大きな要因だと断言しています。
野犬がいなくなった80年代末
今30代以上で都市部出身以外の人は、子供の頃に普通に犬が放し飼いにされていたのを覚えているかもしれません。地域にもよると思いますが、だいたい80年代なかばくらいから放し飼いに対する役所指導が強くなり、90年代に入ると過疎地以外での放し飼いはほぼ撲滅され、それに先立つ数年前には野犬の駆除が徹底されていました。
私が育った山裾のエリアでも昔は夕方になると野犬が徘徊し、獰猛ではないけれども乱暴で噛み癖がある「荒れた個体」がいたものです(人の近くにいるから比較的人に慣れている)。それら山裾エリアは、今では普通に猪が闊歩していますが、その頃はまさかこの山に猪がいるなどとは思いもしなかったものです。
遠くを救急車が通ると飼い犬たちが一斉に遠吠えを始めるのですが、民家のない山の方でも数頭の遠吠えがあったもので、そこは間違いなく野犬のテリトリー。それら野犬ゾーン一帯が野生動物の侵入をブロックしていたのは間違いない。これは間違いない。
野犬が駆逐され、飼い犬の放し飼いが激減した時期と、鹿や猪の農作物被害が目立ち始めた時期がだいたい一致するので、犬たちによる抑止力は間違いなくあったのでしょう。人が山に手を入れなくなった時期とも重なるので複合要因だとも言えますが。
https://blog.fore-ma.com/?p=2244
実際に野犬が捕食している
かつて秩父で撮影されたニホンオオカミの写真は、オオカミ犬(犬とのハイブリッド)だという指摘がされていますが、ともあれイヌ科が捕食者として生態系で生き延びている証拠写真なのは間違いありません。祖母山の例も同様です。
先日などは下記のようなニュースもありました。(引用:京都新聞)
14日午前8時10分ごろ、京都府宇治市白川植田の民家裏で、住民から「野犬がシカを襲っている」と110番があった。付近では先月24日にもシカを襲う大型野犬の目撃情報があり、宇治署は警戒を強めるとともに、住民に注意を呼び掛けている。
↑大元の記事では写真もあるのでご参照ください。この記事の場合はシェパードっぽいので脅威でしかないのですが、犬種によっては捕食者としての機能を有するという分かりやすい事例。
また、捕食しないにしろ、放し飼いの犬や野犬についても野生動物の行動抑止に対して一定の効果があり、鹿や猪の個体数増減に関わらず人類との衝突(=農作物被害)の抑制に貢献していたとみて良さそうです。
犬たちの牽制によって野生動物の個体群が一定のエリアに追い込まれていた場合、そのエリア内の資源に応じて自然淘汰による個体数調整が起こり、結果として激増抑止につながっていたと考えるのは決して不自然ではありません。
犬が野生動物を抑止する「里守り犬」
広島県の事例ですが、保健所から保護した犬を山間部地域で飼ってもらい、獣害抑制に活用する取り組みがあります。
(参考記事: 保護犬を「里守り犬」に育成します! 野生動物の「獣害」に悩む過疎地のプロジェクト)
この事例は、あくまで保護犬の活用が主眼なので、普通につながれて飼育されるのみらしいのですが、それでも野生動物が来たら吠えまくるので抑止力につながっているのだとか。
里守り犬というのは、農水省の「里守り犬育成事業」というのがオリジナルらしく、しかし立ち上げられた(?)のが2008年あたりの事で、今ではその詳細が分かりません。と思っていたら下記の有益な記事があったのでご紹介。これも2009年のものなので、その後下火になったのかもしれません。
一部抜粋引用します。
野生のサル、イノシシなどは食物に困窮すると、山の麓の田畑に降りてきて農作物を食い荒らし、甚大な被害をもたらしている。そんな深刻な状況に対応して、ひとすじの光明として期待されているのが農水省の「里守り犬育成事業(鳥獣害防止総合対策事業)」だ。里守り犬とは、害獣のうち特にサルを追い、被害を最小にとどめることを期待されている犬達のことを言う。
上記一連の事例や背景を見てもわかるように、犬の適性・役割は非常に大きく、ニホンオオカミ絶滅後も野生動物の激増・襲撃を回避できていたのはつい先ごろまで日本社会に浸透していた犬の放し飼いおよび山裾の野犬であった可能性は極めて濃厚に思えます。
もちろん、だから頂点捕食者が不要という意味ではないのですが、ニホンオオカミ絶滅と獣害激増との間にある80年以上のタイムラグに対しての一つの大きな根拠だと感じています。
放し飼い特区を設けるべき
いきなりオオカミ再導入は無理。まずは犬の放し飼い
リスクや変化を病的に恐れる現代の日本人の国民性(=多分戦後の平和ボケの影響)を考えると、現状のままでオオカミを再導入するのは多分無理です。であればまずは野犬放し飼い特区を山間部に設け、一定の効果を立証することから始めるのが良いかもしれません。
そのうち犬の有用性と限界が見え始め、同時に「イヌ科放し飼いの前例」がオオカミ再導入へのハードルを若干下げる可能性が期待できます。(分かりませんけど・・※)
※野犬は人を襲うので、あしき前例となる可能性もあり
オオカミ再導入に否定的な人たちが懸念するのは、放獣後の野生動物の行動をどうやって管理するのかということ。この意見は一聞するともっともに思えるのですが、そもそも自然を完全に掌握して管理するという思考が西洋的で根本の道筋を誤っていると思えてなりません。
人間は野生動物どころか、逃げた飼い犬ですら管理できません(いつの間にか子供ができているetc..)。飼い犬はおろか、そのへんでゴロゴロしている飼い猫ですら実際にはどこで何をしているか我々は全く把握できていません。(飼い猫によるレジャーハンティングは生態系における脅威→イエネコは侵略的外来種に分類)
放し飼い特区を設置することで「我々は所詮は何も把握できない」という現実を受け入れ、自然を人様が完全管理するという発想(※)を崩す事がもっとも重要なのかもしれません。(※大型ダムなどはまさにこの典型)
その上でIoTを活用して可能な範囲での行動把握とデータ収集を行い、次世代に英知を残していくのが有益ではないでしょうか。
余談ながら・・
話が全然変わりますが、90年代に入ってスパイクタイヤが規制され、それに伴って特に山間部や高速道路で凍結防止剤の使用量が増えました。そしてそれが野生動物の貴重なミネラル補給源になり、個体数増加に貢献しているとの説があります。これはまさにその通りだと思います。(高速脇で道路を舐める猿や鹿について、道路関係者に聞いてみてください)
鹿や猪(そして一部でアライグマやハクビシンなどの外来種)が増えすぎてどうにもならなくなったのはニホンオオカミ(=頂点捕食者)の絶滅と切り離すことはできませんが、それに加え、人間の意図せぬ行動が原因で繁殖を助長する要因が増えているのも確かで、過去の我々の行動がしっぺ返し的に一度に降りかかっているのが現代の日本だと言えます。
ものの例えではありますが、現代のシステム開発や管理という職においては、よほどの事がないかぎり元からあるプログラムには触らないのが鉄則です。何が起こるかわからないから。
一見不要に思えるコードの1行を削除しただけでシステム全体が動かなくなる事例は当たり前に存在します。それに対してよく分からず対処療法をしていくと、ますます深みにはまってシステムは崩壊します。
今の日本の山林事情もこれに近いように思えます。環境省が「硝酸塩を用いたシカ等の捕獲」の可能性を模索しているのも典型的な対処療法で、システムに致命的なバグを与えそうな気配が濃密です。(※参考記事:鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律第37条の審査基準を設けることに対する意見の募集(パブリックコメント)について)
システム開発の現場で対処不能の状態に陥った時、もっとも有効な回復手段は、元の状態に戻す事。山林事情に置き換えれば、
- 増えすぎた人工林の伐採と広葉樹林の復元
- 不要ダムの撤去
- 頂点捕食者の再導入
頂点捕食者については、有力候補のタイリクオオカミが外来種扱いなので「元の状態に戻す」という意味合いとは異なるのは確かですが、「頂点捕食者不在」と「近縁の外来種」という選択肢についての議論は大いにしていくのが良いように思います。
そして山間部における犬の放し飼いも。
https://blog.fore-ma.com/?p=2244
株式会社Forema(フォレマ) 代表。生態系保全活動の傍ら、自社ラボで犬と猫の腸内細菌/口腔細菌の解析を中心に、自然環境中の微生物叢解析なども含め広く研究を行なっています。土壌細菌育成の一環として有機栽培にも尽力。基本理念は自然崇拝。お肉は週2回くらいまで。
獣害が無関係なのはさほど驚くことではないと思います。
オオカミが獣害を防ぐのは獣害を起こすシカやイノシシを主食にすることの二次的な効果にすぎないですから
獣害が無関係
だからオオカミではなく人間の狩猟が一番という結論に至るのは自然界の現実を見てない人が言うことだと思います。
オオカミを導入する理由は獣害のためではなく、自然界の生物多様性のためなので、
オオカミ絶滅と獣害は無関係だということをオオカミ再導入の反対理由にするのはちょっとずれていると感じます。
コメントありがとうございます。
当記事の趣旨としては、オオカミ絶滅と獣害の増加は無関係ではないというものです。オオカミ絶滅から鹿・猪の増加までタイムラグが出てしまった理由について色々な可能性を記述しています。
おっしゃるように、生物多様性のためにもオオカミは必要な存在だと感じていますので、反対派には対案を出してほしいと常々思っています。