西粟倉村

よそ者が活躍する過疎地、西粟倉村

最終更新日:
公開日:2016/12/26

岡山県の奥地にある西粟倉村に行ってきました。

全人口1,500人の西粟倉村は、かつて過疎化が進む中で平成の大合併を蹴り、自力で活路を見出すことを選んだタフな歴史を持っています。

外部の人間を受け入れた村、 西粟倉村

旧影石小学校
森の学校(現エーゼロ株式会社)のある、旧影石小学校。

これといった産業がない過疎の自治体が選んだ道は、木材という資源のフル活用。生き残りをかけた戦略の中で、村は外部の力を受け入れる方法を選びました。

http://guruguru.jp/nishihour/

中でも中核となるのが、旧小学校校舎をそのまま使用して設立された森の学校(現エーゼロ株式会社)で、数々の木材商品を開発、外部へのPR及びアウトプットを進めながら現在の基盤を築いてきました。取り組みが先進的で珍しかった事もあり、全国の尖った人たちから静かに、少しずつ注目されるように。以後、時を経て少しずつ移住者が増えはじめ、村内で起業し、それらがわずかな成功を積み重ねているのを見てさらに新しい人材が入ってくるという流れが定着しつつあるようです。

エーゼロの関係者は、この現状を「最初のペンギンが海に飛び込み、次のグループが飛び込み、今は第3世代が定着して芽を出しつつある段階」と言っていました。

ジビエ料理のお店

フレル食堂
旧影石小学校に移転したフレル食堂。黒板と木の暖かさを残したレイアウトが秀逸。

最初のペンギンの一つとも言えるのが、ジビエ料理も扱うお店、フレル食堂。オーナーの西原氏が森の学校に参加した事がはじまりだったようで、その後岡山の美作市で開業。この訪問の数日前に西粟倉村の旧小学校校舎内へ移転して(戻って?)きたのだそうです。

フレル食堂内観
フレル食堂内観。おそらくは全国共通規格であろう、かの教室サイズ。ちなみにこの影石小学校は平成11年3月に閉校し西粟倉小学校へ統合。

ここ女性オーナーはとても不思議な魅力のある方で、過疎地とは思えない敏感な感度を持ち合わせている様子。関係者が冗談めかして「彼女は解体マニア」と評していましたが、料理だけではなく、以前は博物館の剥製を作るお仕事にも携わっていたのだといいます。

鹿の星肉
鹿肉をスライスし、寒空の下で数日干したもの。香辛料をまぶしただけのシンプルな味つけで素材の良さを引き出す。

今回は閉店間際という時間的制約から食事をすることができなかったのですが、なかなかの敏腕で食べた人を唸らせるのだという話。ご主人は木工作家との事で、お手製の木製食器が店内で使用、また販売もされています。暖房もまきストーブですし、あらゆる面で自然と密着したお店なのだと感じました。

教室の後ろ側
菌チンエリアになっている、教室の後ろ側。教室の後ろに立たせる文化が今となっては懐かしい限りです。

フレル食堂(旧影石小学校内  駐車場あり)
090 – 6830 – 2130 (Fri → Tue  11:00~17:00)
〒707-0503 岡山県英田郡西粟倉村影石895

http://www.fureru.com/

宿泊もできる温泉施設、元湯

元湯
かつては年寄りばかりが集まる湯治場だったという元湯。今では県外からカップルや、小さな子供をつれた若い夫婦も訪れる人気のスポットに。

温泉施設も紹介したいと思います。元々温泉の出る西粟倉村で、古くから土地の老人たちに利用されてきた湯池施設が老朽化。そこを今風にアレンジして若返らせた湯場兼ゲストハウスが元湯。やはり県外から移ってきた若い夫婦が営んでおり、今年で3年目。今では村外の若い人材も移住して加わっており、さらに活気が加わっているようです。

元湯内観
元湯内観。お風呂だけではなく、宿泊や食事、カフェ利用も可能。

この日私は、高速道路の長距離運転でくたびれていた事もあり、温泉に入らせて頂くことに。冬場の過疎地で独り占めする温泉の贅沢さは筆舌に尽くすは困難至極でありました。

ここは温泉とは言いながらも、組み上げた時点では17度の冷泉らしく、そこからマキを燃やして温めているのだそうです。マキはもちろん村内人工林から得た間伐材を利用したもの。他の温泉施設向けにもマキを出荷しており、元湯を運営しながら、マキの生産出荷という新たな仕事を作り出しています。

さて、温泉で疲れを癒した後に新たな来訪客に出会ったのですが、聞けばわざわざ千葉からいらしたとの事。メディアによく取り上げられることから、県外からの来訪者が多いのだとか。外部の人間が活躍して外部からの誘客を果たしている現状は、過疎地の中における成功モデルと言っても過言ではないように思えます。

岡山県英田郡西粟倉村影石2050
0868-79-2129
0868-79-2120
http://motoyu.asia/

人工林が大半の山、そして鹿が駆け回る

杉と檜の人工林
杉と檜の人工林。活かせば宝。放置すれば負の遺産。今後山をどうしていくのかが厳しく問われているのが今。

西粟倉村であたりの山々を見渡すと、一面がスギやヒノキの針葉樹林で、山全体が黒々としています。これは地域にとっての財産である一方、生態系・生物多様性の観点ではあまり好ましい状況とは言えない負の側面もあります。果実をつけない杉や檜の森は、それを餌にする野生動物にとっては砂漠同然の環境であり、鳥類はもちろんですが、特にツキノワグマのような大型の哺乳類にとっては住みずらい場所だと言えます。また、冬場でも落葉しない針葉樹の密生は、大型猛禽類にとって狩の難しいフィールドと化します。

鹿よりも猪の勢力が強い傾向のある西日本ですが、西粟倉村においては鹿の方が圧倒的に多いようです。これは隣町の林業王国、鳥取県智頭町においても同様です。理由として考えられるのは、鹿の方が寒冷な気候に適している点に加え、薄暗い人工林においても熊笹は下草としてある程度生えている点。鹿は木の芽や若葉を好んで食べる一方、餌の少ない時期には熊笹が重要な食糧源となります。

宮島の鹿
宮島の鹿。浜に打ち上げられた海藻を物色中。背後に写っているのはかの有名な厳島神社の鳥居。

猪やツキノワグマは雑食性ですが、鹿は草食性。食べられる草木ならばなんでも食べられる強みがあります。熊笹がなければ木の皮を剥いで食べ、それでもなければ落ち葉まで食べて飢えをしのいでいるケースもありました。

また、世界遺産で有名な安芸の宮島では、海辺に打ち上げられたワカメを美味しそうに食べているシーンを日常的に目にすることができます。こういった背景もあって鹿の勢力が強いのではないかと推察できます。

海藻を物色する鹿
海藻の匂いを嗅いで物色する鹿。宮島では観光客による鹿への餌付けを自粛する運動が奏功。結果として自分で餌を探す鹿が増えている。
海藻を食べる鹿
海藻を食べる鹿。撮影は10月初旬でまだ餌の多い時期。日常的に食している様子。

人工林の今後は?

西粟倉村 空撮
西粟倉村を遠方より俯瞰する形で空撮。

国内の山林の大半を占める人工林は、戦後の国策の負の遺産という側面が大いにあります。国産材の価格崩落や林業家の高齢化によって伐採・出荷が行われず放置された山林の現状は「山林の荒廃」と言われ続けて久しいです。とは言え、人工林が悪いというのではありません。自然界ではありえないほど画一的に同一種を植え続け、それらが国土の大半を覆っている状況こそが問題であり、しかも活用の予定がない。これはまずいです。

逆に言うと、これらを積極的に活用している場合においては、負の遺産も宝となり得る。古い世代の人たちが昔の価値観と昔のやり方で諦めたものを、新しい外部の人たちが新しい方法と価値観で再チャレンジしているのが西粟倉村だと言えるのではないでしょうか。

山は海と繋がっており、その海も海洋資源枯渇がもう後戻りができないかもしれないギリギリのところに来ています。使う予定のない人工林は早急に自然林に復元し、「使う予定のある一部の人工林に絞って」有益に活用していく事が生態系にとって正常な状態であり、自然と人間が調和しながら生きていく上での必須の条件であるように感じました。

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