かつて林業で栄えた鳥取県八頭郡の智頭町。先日所要で智頭町役場を訪れたところ、近くに限界集落があるという事なので行ってきました。
そもそも八頭郡の智頭町とはどんなところか?
八頭郡というからにはヤマタノオロチと関係がありそうな名前ですが、それは島根の話。wikipediaを見ると下記のような解説があります。
明治29年(1896年)
4月1日 – 郡制の施行のため八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E4%BA%95%E5%8E%9F%E9%9B%86%E8%90%BD
三郡の頭文字をとって八頭という事のようです。そんな八頭郡の中でも智頭町は岡山県境に接した中国山地のどまんなか。本当に山深く、面積の93%が山林だとされています。そのほとんどが針葉樹林で、かつては林業が町の重要産業に。ピークの頃には木材で巨大な富を築いた林業家も複数存在したと聞きます。
地理的に日本海側と瀬戸内川をつなぐ要にあたり、宿場町として栄えた歴史あり。現在の人口は7,500名ほどで過疎を食い止めるべく先進的な試みを数々打ち出している、なかなかタフな自治体です。
板井原集落は、そんな智頭町の中心部から”直線距離としては”比較的近いところに位置します。
板井原集落へと登る
山を昇り、3kmほど走ったところで急遽長いトンネルに遭遇。そこを抜けた途端に気候が激変し、雪と濃霧に覆われた谷あいにたどり着きました。
濃霧の中を数百メートルほど進んだ先に集落はあります。深い霧の中から現れた藁葺きの日本建築郡はほとんど映画のような完成度で足が止まります。私はこの日役場への用事で鳥取に来県。スーツと革靴という格好で雪の限界集落をさまよう事となったわけですが、幸いにも曇っていた空が急に晴れ始め、あたりがとても幻想的な雰囲気に・・。
以前、安芸太田町の那須集落の時にも書きましたが、最初に頭に浮かぶのはなぜこんな奥地に?という事。聞けばここはやはり平家落人が隠れ住んだ「隠れ里の伝説」があるらしく、それが本当であれば鎌倉幕府の頃には既にここで人々が生活を営んでいた事になります。
集落は川沿いに形成されており、急な流れながらも豊かな流量のある、日本の清流の典型的な姿。崖のようにそびえる山と川の間にあるわずかな平地に家屋が程よく集まって形成されています。
この集落は、文化庁が定める伝統的建造物群保存地区に指定されたこともあり、近年になって保護と再生の動きが出始めたとの事。その一貫か、集落に繋がる細道で補強工事が行われていました(誰もいない濃霧の中で突如重機の工事集団が現れたのでぶつかるかと思いました・・)。
伝統的建造物群保存地区
昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し,城下町,宿場町,門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。市町村は,伝統的建造物群保存地区を決定し,地区内の保存事業を計画的に進めるため,保存条例に基づき保存計画を定めます。国は市町村からの申出を受けて,我が国にとって価値が高いと判断したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定します。
集落をしばらく歩いたものの、人の気配が全くしません。中には梁が落ちて崩れかかっている建物も。正確な数値かは分かりませんが、ここで常時暮らしている人の数は20人前後で、冬場は5名ほどしか残らないそうです。
良く見るといたるところにマキが積み上げてあり、冬を越す人たちの生活の一部が見て取れます。
さらに山に向かって歩いたところ、モクモクと猛烈にと湯気を上げる煙突の家屋が。お風呂なのか暖房なのか、料理なのか炭焼きなのか・・。ただ、ひと気の無い集落で、猛烈に湧き上がる蒸気にとても強い生命力を感じました。
板井原公民館と向山神社
集落の入り口には、集落の中心であったであろう向山神社と旧小学校(現板井原公民館)があります。こんなに奥地の小さな集落にも学校があったという過去が、日本がいかに教育を大切にする国柄であったかを示しているように強く思います。
国の伝統的な教育や価値観が絶たれたのは敗戦によるGHQの占領政策の影響が大きく、国家の根幹を成す学校教育および神道の解体(神道指令)が基本方針にありました。
※神道指令は混乱を避けるという判断のもと、後に大きく緩和される。
神道指令(しんとうしれい)とは、1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)の通称である。
覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたものである。
GHQの占領期、私たちの多くはまだこの世に存在しておらず、当時の話は伝聞によって知るのみです。それでも目の前の限界集落中枢に学校と神社が鎮座している様を実際に目の当たりにすると、戦前の日本は学校(=教育)と神社を核にコミュニティおよび価値観の形成がなされていたのだなぁ・・、と非常に感慨深く感じるものです。
マスメディアや教育界の方針の偏向もあり、今もって戦前を否定する風潮は拭えていません。そして「戦前と断ち切られた価値観」が、ひょっとしたら今の全国の集落過疎問題の根幹にあるのではないかと感じて仕方ありません。
大麻による町おこしとその後
この板井原集落のある智頭町は「大麻による町おこし」によって注目されていましたが、つい2ヶ月ほど前、最悪の形でそれは終焉を迎えました。中心人物およびその取り巻きらが違法大麻の所持で逮捕されたのです。
「大麻で町おこし」取り組んでいた鳥取県智頭町の会社代表が大麻取締法違反容疑で逮捕「使用目的で所持」 (産経ニュース)
智頭町で栽培されていたのは産業大麻と呼ばれるもので、向精神のあるTHCをほとんど含まないもの。医療分野で使われる大麻は大半が産業大麻で、一般的には医療大麻という通称で知られています。
その産業大麻を隠れ蓑にして一部の人間が違法大麻の快楽におぼれていたというのが(少なくとも表向きには)実態のようで、これは石垣島の高樹沙耶氏の事件と同じ構図に見えます(高木氏自身が違法大麻を使用したかどうかは分かりません)。
これによって鳥取県全体で大麻がタブーとなり、役所の方の話によれば「今後の再開も無いだろう・・」という事でした。
地域おこしとヨソ者について
今後、山間部の自治体を中心に過疎が加速し、集落じまい・里じまいによって役目を終えていく村落が増加するの間違いありません。地元の人たちだけで食い止められるのであればとっくに食い止められているわけで、できないのであれば諦めるか外部の力(公金ではなく、マンパワーや個人の英知)を取り込むしかなく、そこへの取り組み方について各自治体が試されているように思えます。
頭智頭町は、その点はとても意欲的で、今現在も地域おこし協力隊が20名も活躍しているとの事。ヨソ者を排除するか、使い捨てるか、有益に活用するか。今回の大麻の失敗にめげず、外部の人間・ヨソ者をどんどん取り込んで活路を切り開いてほしいと感じた次第です。
最後に、青空の美しかった集落の夕日の風景を。
板井原集落はこれから厳冬を迎えます。
株式会社Forema(フォレマ) 代表。生態系保全活動の傍ら、自社ラボで犬と猫の腸内細菌/口腔細菌の解析を中心に、自然環境中の微生物叢解析なども含め広く研究を行なっています。土壌細菌育成の一環として有機栽培にも尽力。基本理念は自然崇拝。お肉は週2回くらいまで。