先日、限界集落として知られる那須集落に行く機会があったのでレポート書きます。
那須集落というのは、栃木県の那須ではなく、広島県の安芸太田町にある限界集落の一つです。安芸太田町自体が広島県内で最も過疎化が進む自治体で人口は6,700名。そんな安芸太田町の中でも一番と言っていいほど過疎が深刻なのがこの那須集落です。今現在の人口は4世帯6名とのことで、平均年齢は80歳以上。しかも冬場にはみんな山を降りてしまうため、春までは完全に無人になるそうです。
上記の写真は安芸太田町の別の場所の写真。見てもわかるようにとても自然が豊かな地域で大半が山林。そんな安芸太田町の中心部からさらに奥地に入っていった地域にあるのが那須集落です。
この那須集落を訪れたのは11月の上旬。例年に比べて大幅に紅葉の遅れた2016年の秋ですが、安芸太田町以北は標高も高く、今がまさに紅葉のピークでした。
那須集落までの道のり
ここにたどり着くまでに感じたのは「遠い..」の一言。広島を育む太田川をさらに源流の方向に細道をさかのぼる事20分。山道を走りっぱなしの20分は本当に長いんです。その間何度かgoogle map で位置を確認するも、途中からは電波が途切れ始め・・。
そんな中、川沿いから山側へ切れ込む細道を発見。ここを右折して集落へ向かうわけですが、道の痛みが激しく、途中で大きな穴がいくつも開いていたのが印象的です。カーブの多い上り坂の林道はすれ違いも難しく、冬季にはとても厳しい状況になるのだろうと容易に想像がつきます。
途中で那須川と書かれた小さな橋が。根拠はないですが名前は多分那須橋。苔むして情緒のある橋桁ですが、どういうわけか欄干が今にも落ちそうな状況に。路面もそうですが、こういうところに公金がなかなか回せないのが過疎地の実情で、だからなおさら人が住みにくくなるという悪循環なのかもしれません。
とはいえ、この季節の快晴下においては木々の景色も素晴らしく、自然の恩恵を強く感じるのも事実。歩いて上がればさぞ気持ちが良いだろうと感じます。
そうしてこの林道を数分上った先にで野山が開け、那須の集落が姿を現します。
隠れ里? 山奥の限界集落
安芸太田町自体が過疎地であるにもかかわらず、そこからさらに奥に入ってここまでやってくるのが一苦労。多くの山奥集落がそうですが、感じるのは「どうしてこんな奥地に・・」という疑問。一番最初にここを選んだ人はどういう事情があったんだろうかと考えてしまいます。
こういう山奥集落は、例えば宮崎の椎葉村のように、平家の隠れ里と解釈すると腑に落ちます。広島は平清盛によって整えられた厳島があるように平家ゆかりの地。平家の落ち武者が山奥で静かに余生を暮らしたのが始まりなのでしょうか?
さて、この安芸太田町には屋島の合戦で知られる那須与一のお墓があります。那須与一は那須源氏の流れをくむように、言わずと知れた源氏側の武将。この那須集落も名前が示すように那須与一と関係があるのかもしれません。となると、落ち武者の隠れ里とはまた違ったルーツがあるとはずで、余計に「なぜこんな奥地に??」とますます興味が湧きます。
冒頭にも触れたように、那須集落は現在人口が6人ほどだそうです。ただ、逆に「まだ人がすんでいるのか!?」と感じてしまうほどの奥地かつ不便な場所。その分静かで、生活音どころか人の気配すら感じない、ただただのどかな場所。
“人の気配がない”と書くと、何て寂しい場所なんだ・・と感じる人もいると思います。が、山というのは案外騒がしいもので、人の活動が全くなくても常にざわついていたりします。その意味では決して寂しい場所ではなく、自然の存在感が非常に強い場という表現もできそうです。那須集落は山間部なのに南向きの日当たりがよく、ひょっとしたらこの「お日様加減」がここに集落が築かれた大きな要因なのかもしれません。
ちなみにこの集落のさらに上の山は、県内でも有数のスキー場「恐羅漢スノーパーク」へ通じる林道が通る内黒峠。昔は歩いて峠を越していたらしく、そこへとつながる林道や山道がこの集落からも伸びています。
那須集落を散策
集落内を散策します。非常にのどかです。ただ、全くのよそ者が人様の領地内を勝手に歩いているのでどこか落ち着かない・・と思っていたのも束の間で、本当に人がおらず、生活音すらしないので、主要通路を自由に歩かせてもらいました。
かつてはここにも小学校があり、子供が走り回ったり若者が活躍する姿があったようです(明治24年開校、昭和46年統廃合)。が、若者は仕事で町へ出、必然的に子供はいなくなってお年寄りが残るという、国内で共通する集落の図がここにあります。
人口減かつ便利追求型の世の中で、限界集落が消えていくのは避けられないだろうと感じる一方で、かつてあった人々の生活の痕跡が跡形もなく消えていく一歩手前の風景というのは、全く縁のない土地であってもこみ上げてくるものがあります。
集落を歩いていて気づくのは、お墓の存在。農村部では家屋敷地内にお墓がある事は少なくはなく、家屋わきの程よい場所に程よく建てられています。が、ここではお墓が家屋から少し離れていたり、家屋と反対を向いて建てられていたりします。よく見ると、どのお墓も土地で一番日当たりのいい場所で、お日様の方に向かって建てられています。ここにこの集落の価値観を見たような気がします。そしてこのお墓があるから人は帰ってくるんだろうと思います。
人の生活の息吹
まったく人がいないと思っていた集落内でもわずかに生活の息吹があります。洗濯物が干してあったり、お花が植えてあったり。大根と唐辛子が干してあるのは、冬に向けての漬物の準備でしょうか?これを干した人が小さな子供だった頃に、やはりその祖父母が同じように干していたのかもしれません。そして5年後にもう一度ここに来た時、この風景が見られることはないかもしれません。
よく「日本の原風景」という言葉を耳にしますが、この集落もまさに原風景。そして多くの人が「いいところだね」と共感する一方で、数年後には誰一人住んでいないかもしれない限界を超えた集落。日本中にこういうところが増えている中でも、この中国山地は過疎化が最も進むエリアなのだそうです。
今の価値観を維持している限り過疎や人口減は避けられず、必然的に無人集落は今後どんどん増えていくのは間違いありません。私個人としては、守っても守ってもどうしても守りきれない領域は、人類は保有を諦めて自然に返すべきだと考えています。
一方で、もしも守りたいと願っている人たちがおり、かつ守りろうと努力して動いているのであれば大いに守り、再興がかなうのであればそれはとても素晴らしい事だとも思っています。
那須集落が属する安芸太田町では、初年度から地域おこし協力隊を積極的に受け入れており、(当初は脱落者が出たものの)3年目の今は10数名の隊員が活躍しているそうです。そして近々那須集落内に、なんらかのコミュニティー施設(集会所??)を設置して集落消滅の流れを食い止めるべく動いていくとの事。
外部の人や若い人のチャレンジを受け入れている自治体の成功事例として、全国のモデルとなるよう陰ながら応援したいと思います。
株式会社Forema(フォレマ) 代表。生態系保全活動の傍ら、自社ラボで犬と猫の腸内細菌/口腔細菌の解析を中心に、自然環境中の微生物叢解析なども含め広く研究を行なっています。土壌細菌育成の一環として有機栽培にも尽力。基本理念は自然崇拝。お肉は週2回くらいまで。
初めまして、
私テレビ東京で「超ファンタスティック遺言」という番組を制作しております
テレビジョンフィールドのパクと申します。
こちらの記事で掲示している那須集落安芸太田町の紅葉写真を
番組内で使用いたしたく、許諾を伺うためご連絡差し上げました。
当番組は10月21日22:00~の放送を予定しており、
今だから言える本音、言い残しておきたい、どうしても伝えたいことを取り上げて、
その「遺言」をVTRにして紹介するという内容でございます。
お忙しいところ恐縮ですが、
ご検討いただけますと幸いです。
何卒、宜しくお願い申し上げます。